Dr.中島は、東海大学医学部付属病院第二外科(三富教授)チーフレジデントを終了し、救急外科医として、長年、神奈川県西部の地域救急医療を担ってきました。
臨床医の時代は、交通外傷、重症熱傷、マムシ咬傷など特殊な外因系疾患の診断・治療を担当し、現在は研究者として、救命救急医学講座の傘下で独自の研究を続けています。日本救急医学会救急指導医としてもご活躍されています。
プレホスピタルケアの研究として、救急搬送中の患者情報をtriageのため救急指揮者に伝送することを課題にし、1985年より臨床医療の傍ら、衛星を用いた救急医療支援システムを開発。
1994年-95年には、宇宙開発事業団の特別研究開発部員として、米国周回低軌道衛星(VITASAT)を医療に応用しているVITA(NGO)米国ワシントンD.C. に留学。東京工業大学付属工業高校(現 東京工業大学付属科学技術高校)出身でもあり、マイクロ波の基板を試作し、C++言語を用いソフトウエアの開発も手がけます。 研究に伴う特許申願は既に20件にのぼります。
1977年東海大学海洋学部潜水訓練講座を受講し、静岡県より公認潜水士の免許を取得。 SCUBAダイビングのインストラクター、研究面ではJAXA WETS(宇宙飛行士のヘルメット潜水)の救急医を担当されています。
長年、4x5、8x10の大判カメラからデジタル望遠カメラまでを操り、野鳥やAir to Air(航空機から航空機を撮影)を得意としています。フォトグラファー 井村淳氏に師事し、The Professional Aerial Photographers' Association(米国)の唯一の日本人メンバーです。
米窪満亮(よねくぼ みつすけ1881年~1951年 日本の労働運動家、小説家、政治家。日本海員組合副会長を経て、戦後、日本社会党に所属し、片山内閣の国務大臣、初代労働大臣を歴任した。)を家系にもつことから、米窪の影響を色濃く受け育った。国際支援活動に熱心なのは幼少期の経験によるものである。 現在も、「太平洋諸国の医療分野での遠隔教育プロジェクト」を担当し、WHOの専門家として、このプロジェクトを長年支援している。 さらにITU-D(ジュネーブ)では、国際遠隔医療会議の副議長に3期(1期4年、12年)選出されている。